ふんどし女子というより、女子は内臓の先端が、外界と触れる口を解放するのが、常識なのです。
有史以前の昔から、日本女性は、パンツをはかずに暮らしてきました。
海に囲まれ、国土の8割が森林で、水源に恵まれた日本は、湿度が高いのです。
そして、子宮も、大腸も、膀胱も、生きています。生きているから、気を吐き、気を吸います。その換気する口を布で覆うなど、本当は、愚かなことです。

 明治以降、開国して西洋にならえと国は、ズロース型下着を女性たちがとりいれることを推奨しましたが、股間を解放した腰巻きになじんだ日本女性たちからは「不快」と大不評で、見向きもされませんでした。

 ところが、現在は、ほとんどの女性が、腰の口を布で覆うタイプの下着をはいています。いったい何が、日本女性から腰巻きの開放感を奪い、不快なパンツをはかせたのでしょうか?

 それは、太平洋戦争です。「贅沢は敵だ」のスローガンのもと、着物は贅沢でありモンペ着用を強要されました。美輪明宏さんのお話しによると、赤い毛糸がモンペのすきまから出ていた少女は、憲兵に「贅沢だ」と鋲のついた軍靴で蹴り殺されてしまったそうです。空からは爆撃、地上では軍国主義に支配された監視の目。戦争の脅威に迫られ、モンペをはき、その下にやむなくパンツをはいたのでした。
日本女性かバンツを取り入れたのは、快適さや憧れからではないのです。ただ、「恐ろしい」からパンツ着用の歴史が始まったのです。

 終戦後、活動的な洋服が一般的になりました。パンツの不快さに体は慣れ、着物用の下着である腰巻の開放感は忘れられました。
もう、着物を着ていも、贅沢だ!と憲兵に蹴り殺される事は無いのに、着物はめんどうだから、あまり着用されません。開放的だからといって、スカートの下に腰巻きをはく女性も、あまりいません。風で裾がまくれあがったら大変ですから。

 有史以前、三千年以上の永いあいだ、日本女性は、腰部の口を解放してきました。子宮も、大腸も、膀胱も、自由に呼吸をしてきました。
だからこそ、大地からの気と交感し、外界の変化を感知して、内臓が対応して免疫を作り、自然と宇宙と調和して暮らしてきました。
 頭の口[目・鼻・口・耳]からの情報だけでなく、腰の口[膣口・尿道口・肛門]からも情報を受け取り、呼吸して、頭の知と腰の情が統合した判断と行動をしてきました。

 イメージしてください。あなたの口、目、耳、鼻を布でふさいだ状態を。息が苦しくないですか?見えなくて、聞こえなくて、不安でないですか? その思いを腰に強いているのです。更に、その状態が日常化すれば、不安や息苦しさのストレスから自分を守るために、鈍感または、不感症になるでしょう。それが、モンペ着用以降の日本女性の心身です。月経血をコントロールできなくなり、腰部の筋肉がゆるみました。情報に振り回された子育て、頭でっかちな情の薄い育児が原因の事件が後をたちません。

 まだ、あなたは、腰の口を布で塞ぎますか? 目からウロコがはがれるように、腰の口から布をはがすと、心と体と魂が歓び、あなたの塞がれていた感覚が目覚めます。あなたは変わり、世界が変わります。

 服の裾が風でまくれあがっても、陰部が露出せず、桃の付け根をゴムで締めない女子ふんどしが、最近話題になっています。 

 私が特許取得した女性用ふんどし「天女の絹ショーツ咲楽姫」は、更に、トイレはバンツのようにカンタンで、腰巻きのように布が股に食い込まず、日本の技術の粋・正絹羽二重織という最高に肌ざわりが良く洗濯が簡単な丈夫な織り、枇杷の葉で草木染めして浄化力が高く、ふんどしというより、ショーツという感じのおしゃれさです。女子ふんどしの最終進化版です。
 
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