梅の山が祝福してくれました

梅の山が祝福してくれました

キレイになったね、見ちがえた!!
若返った!どうして、そんなに変わったの?
女性らしくなった~、教えて、何があったの!?
…よく言われます。最近のワタクシ(#^.^#)
自分で気づかないけど、皆さんの証言から、ご報告いたします。

私、きれいになりました!

(すいません!「イイネ」ボタンしかなくて)

ほんと、かかわって下さった皆さんのおかげです。感謝します。
お礼に、何が原因できれいになったか、明かします。
それは・・・・
「咲楽姫」。
なーんだ、結局、宣伝か!(゚Д゚)ノ って?
でも、事実なんです。
咲楽姫に引きずられるように、いや、振り回されるように
数々の出会いがあって、壁にぶつかり、砕かれ、やすりで削られ、
磨かれ、今に至りました。

楽しさ、憧れ、好奇心、歓びだけでなく、
不安、焦り、落胆、怒り、羨望、嫉妬など、
いろいろ感じて、排泄してきた。
感情の宿便が出た!かな。

私が受けた教育やしつけ、環境は一言でいうと、
「がまん」

厳しい状況に動じない。
「いつも平常心で、どんな状況もポジティブに変換して受けとめる」
の達人になれた。

子宮や腸が泣きわめいても、脳が理性、もしくは義務、大人のマナーで
無視していた。
しかし、この達人でいることは幸せ?
誰が歓ぶの?

それは、自分の外側の都合がよくなるだけのこと。
自分軸でなく、他人軸に譲り、自分を抹殺する生き方。

これって、まさに、私が訴える「現代の下着の弊害」現象
子宮や腸につながる吸排口とセンサーである部分を下着が密着して遮り、心身のセンスが鈍感になっている。頭からはいる情報に振り回され、子宮や腸の感受性が鈍くなり、自分の本心が置き去りになる。情報に偏った、自分の感覚無視の行動。だから、自分を生きることを心から楽しめない。

これ、私そのものだった、人に訴えていたことは、自分が一番必要とすること。
自分に気づかせるように、人に話していたのか・・・・

そして、気づきと、実践の間には段差がある。

これも、様々な出会いのおかげで、少しずつ自分のぎこちなさが分かって、自分を満たし、段差を登りはじめた。

昨年の秋から、この6月末まで、咲楽姫の変容のステップとリンクするように、私も変容しています。今日、すべてお話しするには、お時間をいただきすぎるので、何かお役に立てればうれしいので、今後、綴っていきます。

続きはアメブロで